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百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術 近藤康太郎 CCCメディアハウス

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百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術 [ 近藤康太郎 ]
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この文章にたどり着いた人はおそらく読書好きの方と思います、そういう僕も週に1冊程度本を読む人間です。多い時は1週間に3-4冊読みます。これが多いか少ないかは置いておいて僕は本が好きだと思っています。そこで皆さんに質問があります。「読書」ということについて真剣に考察したことがありますか?例えば、「本は新品で買う?、中古で買う?、借りる?」「難しい本を読んで分からなかった時はどう解釈する?」「そもそも何のために、なぜ読書をする?」など...。本書はそんな「読書」について掘り下げて学ぶことが出来ます。

作者は慶応義塾大学文学部卒業後、朝日新聞社で記者をした後、現在は記者、ライターなどに文章を教えている方です。

「読書」についてここまで多角的に考えたことがなったので勉強になることが多かったです。

文章構成 百冊で耕す<自由に、なる>ための読書術

「読書について」掘り下げて評論している本です。各章A面、B面と真逆の主張をしている点が本書の面白い所です。例えば、1章は速読と遅読、7章は孤独の読書とみんなの読書。真逆の主張をした上でどちらがいいかは「読んでいる本」によって、「読んでいるあなた自身」によって、決めたらいいですよ!とこちらに選択させてくれます。

文章は論理的に進んでいくため、納得しながら読み進んで行くことできます。挿絵はなく、活字が敷き詰められているため一見かなり硬そうな本に見えます。ですが、「読書すること」のいくつかの謎が解けるかもしれません。「なぜ私は本を読むのか?」、「なぜ古典と言われる難しい本は昔から愛されているのか?」、「読書は教育によいのか」...。

僕自身の問題かもしれませんが、理解して読んでいく必要があるため速読は出来ませんでした(本書にも遅読の作法といものが掲載されています)。

目次 百冊で耕す<自由に、なる>ための読書術

第1章 終わりなき論争:速読の技術/遅読の作法

■A面 速読の技術――本を精査するためのスキニング

■B面 遅読の作法――空気を味わうためのテクニック

第2章 本という投資:本を買う/本を借りる

■A面 本を買う――百冊読書家になる

■B面 本を借りる――図書館マスターになる

第3章 読まないくせにというけれど:理想の積ん読/狂気の積ん読

■A面 理想の積ん読――かっこつけると見える景色がある

■B面 狂気の積ん読――愛しすぎると見失う本質がある

第4章 わたしは読めているのか:「分かる」読書/「分からない」読書

■A面 「分かる」読書――〈知る〉と〈分かる〉の違い

■B面 「分からない」読書――分からないとお嘆きのあなたへ

第5章 「論破力」より、深く掘る:批判して読む/憑依されて読む

■A面 批判して読む――ほんとうの「論破力」とは

■B面 憑依されて読む――転生したら作家だった件

第6章 読む本を選ぶということ:わたしが選ぶ/先人が選ぶ

■A面 わたしが選ぶ――ハマる贅沢を知る、偏食読書

■B面 先人が選ぶ――「必読リスト」で整う、健康読書

第7章 読書の愉楽:孤独の読書/みんなの読書

■A面 孤独の読書――強さと愛する力を手に入れる

■B面 みんなの読書――ナラティブすれば自分が分かる

第8章 何のために本を読むのか:あわいの娯楽/挑むべき修業

■A面 あわいの娯楽――かんたん読書主義者のススメ、七カ条

■B面 挑むべき修業――難しい本を読むための訓戒、六カ条

第9章 百冊で耕す:読むことは愛されること/読むことは愛するということ

■A面 読むことは愛されること――もてる読書術

■B面 読むことは愛するということ――不良の読書術

第10章 美しい日本語世界のわたし:母語でじゅうぶん/原書にあたってこそ

■A面 母語でじゅうぶん――日本語訳A、日本語訳B、さらに日本語訳C

■B面 原書にあたってこそ――英語、第三外国語、その先に再び日本語

第11章 Don’t Think Twice:ズレてる方がいい

■A面 抜き書き帳――わたしが、変わる。生きていく

■B面 暗唱カード――百冊の消滅。ひとつに、なる

概要 百冊で耕す<自由に、なる>ための読書術

作者の名言を紹介します。僕なりの解釈も入れていきます。

 

 

「目指すのは百冊読書家」

百冊の本を持つことでは無く、百冊の繰り返して読むことの出来る本を見つけるいう意味です。所有する本は百冊だけ、小さな本棚一つ分人生で見つけることが出来たら幸せな事です。新しい良書が見つかれば、その本棚を更新していきます。「百冊をどうやって見つけていくのか」本書では終始述べられています。

 

 

「小説とは空気を味わう物」

「あらすじが言えることが読書ではない。本を読んでいた時どんな空気に包まれていたのか、作品の空気を感じる事が重要なのである。」

小説は速読するための読みのもではありません。小説全体に流れる空気、読んでいる時の自分の感情を味わう物です。速読の技術が紹介されている昨今、小説は速読するものではないという作者の意見です。

 

 

 

電子書籍は資料であり、本ではない。本は読むだけでなく、本は眺めるもの、撫でまわすもの、読んだ時間、読んだ場所、読んだ日差し、風の匂い、五感を使って記憶に定着させるものである」

電子書籍がいいのか、紙の本がよいのか、本は購入するのがよいのか、借りてもいいのか。この場面で語られます。電子書籍は検索ができ、手軽に持ち運ぶことが出来ます。しかし、背表紙や本の厚さ、本の質感などを感じ取ることが出来ません。紙の本は本棚に並べて感じる事ができます。電子書籍、紙の本それぞれに良さがあります。どちらが良いかは判断していく必要があります。

 

 

 

「問いはあるのではない。答えは探すものではない。問いも答えも自分が創るものだ。それを可能にするのは、読書だけだ。」

読書だけが「わかる」快楽を与えてくれます。そもそも「問い」、「答え」は自分で見つけるものです。そもそも「問い」を作ることが難しいです。

 

「読書とは問いを自分で言葉に出来るようにする、遠回りの、確実なトレーニングだ。」

正しく問うことができて初めて暫定的な答えが現れます。それが「わかる」ということ、「知識」が堆積し「理解」という現象になります。

 

 

 

 

「よさが分からない読書は時間の無駄ではない。」挑んで、跳ね返されたという体験が大切なのである。

漱石や鴎外といった古典は面白いのである、面白くないのは自分に原因があるのである。」

ぼくは「人間失格」や「坊ちゃん」などを10代前半で読み、「わからなかった」、「面白くなかった」記憶があります。それが挑んで跳ね返されたという体験であったと理解できました。10代前半は腎経験もなく、世の中の事を知らなさ過ぎたのでそう感じたのだと思います。30代になった今もう一度チャレンジしてみようかと思いました。

 

 

 

 

「一人きりでいられるということ、孤独に耐えられるという事。それは強くなることである。」

「だれも、わたしの頭の中に手を突っ込むことはできない」

「勉強は終わりがない」

「幸せな人とは本を読む人の事だ」

 

 

まとめ 百冊で耕す<自由に、なる>ための読書術

僕は読書する理由。それは新しいことを知ったり、勉強したり、小説を読んでワクワクしかったわけではなかったのかもしれないです。「一人になる時間を楽しむ」ことだったのかもしれません。本書でも述べられていますが、現代社会はネットやSNSなどで24時間誰とでも繋がることが可能です。というより繋がってしまいます。一人になる時間は意識して作らないとできません。読書は一人の時間を作るのには有効なのです。

人とのつながりに疲れた時、気分が上がらない時は自分をふるいだたせてくれる本が数冊見つかるといいなと思いました。